2005年06月12日

時の崖

時の崖(『日本文学全集 安部公房集(集英社/1968)』収録)
安部公房
★★★★★☆☆

手元にある本が古い…。母親の本…というか確か祖父の本?
…普通に新潮文庫とかであると思うんだけど。

題材はボクシング。
母親が先日『ミリオンダラー・ベイビー』を観てきてよかったわよ!と大絶賛。
しかしどうしても、どーーーしても、あの、クリント・イーストウッドが苦手な私は原作を読もうと思った。
で、アマゾンとかで調べたら、この原作を書いたトゥールという人が、なかなか面白い。
というか…すごいね。
50近くになってプロボクサーを目指し、その後カットマンになったとか。
で、70歳で作家デビュー、72歳で死去。と。
ぜひ、読んでみたいものです。何がこの人を駆り立てたんでしょうね。

あ。
話がそれたけど。
ええと、安部公房です。
『ミリオンダラー・ベイビー』が読みたかったんだけど手元にないので、とりあえずボクシングつながりで「時の崖」を読みました。と。
ああ、やっと話がつながったね。

一人称+たまに入るトレーナーの台詞のみで構成された短編。すごい短い。
ゲンを担いでみたり、おみくじを信じてみたり、の落ち目のランキングボクサーが主人公。
何かを、というか自分を信じようと必死に「自分が自分の信頼に足ること」を証明しようとするんだけど、
心のどこかで「でもやっぱ駄目なのかな俺は」と思っている。
俺ってついてるんだぜ、俺ってこんなに几帳面に頑張ってんだぜ、俺ってキャリア積んできたんだぜ。
でも、なんで報われないのかな?
努力は報われるものじゃないのかな?
そこのところを信じたいけど信じきることが出来ない。
それにしても、安部公房…上手いなあ…。(悪い意味じゃなくて)
いや、ほんとに面白いです。

no pain no gain、という言葉がありますね。
痛みなくして得る物はない。とでも訳すのかな?
これって逆に言えば、痛みさえ越えれば得るものがあるはずだ、っていう理論だよね。
苦しんだこと、痛かったこと、自分の時間を使ったこと、に対する等価かそれ以上の見返りを、どうしても期待してしまうんだよね。
(これが人間関係に適応されるとたちが悪い。こんなに愛したのになぜ愛してくれないの、とかさ。
 見返りを求める人間関係は、お互いを蝕むよね…)
でも現実はそうじゃないんだよねえ…。
こんなに苦しんだんだ、それなのに何故救われない?
と言われても、その「それなのに」には飛躍がある。それは本人がそうあってほしいと望んでるだけだ。
そうじゃないと、その苦しみは無駄だったって思えてしまう。
そんなの耐えられんもの、誰だってさ。

ああ。人生は不公平だ…。あたりまえだけど。

努力や苦しみや痛みが全部報われるなんて嘘だ。
でも、それでもやってくしかないんだけどね。
そもそもが人生は必ず終わるんだから、そこを目指してる時点で矛盾してるんだから、どこかで覚悟決めないと生きていけないよね。
のび太君の理屈をつきつめると、けっこう怖いことになる(笑)。
(なんで死ななきゃいけないのに生きるのかなあ→じゃあ生まれなきゃいいじゃん!みたいな(笑))

話がそれてきた気がするが。
自分を信じること。ってむずかしい。むちゃくちゃむずかしい。
こうすれば人生うまくいくんだよ、と保証してくれる人も神様も存在しないもの。
他律は楽だけど、ほとんどの場合それは結局まやかしだ。まやかしがばれた後にはろくなことがない。
自分を信じることはとてもとても難しいけど、自律して生きていくしかないんだねえ。
わかっちゃいるけど、なかなか弱いものです。
自由の刑に処されているのか…サルトルさん。
うー。
がんばるよ。
みんなたたかっているのよね…。と思うあたりが、また、よわっちい私であったりする。
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2005年04月30日

象の消滅

象の消滅
村上春樹/新潮社(2005)
★★★★★★☆

いかん。買ってしまった。貧乏人なのに。
だって装丁が好みで。つい。

えー。
短編集です。93年にアメリカで出版された短編集の逆輸入盤と言うかな。
新作はない。改稿されたものや、英訳されたものを再び日本語訳し直したものはある。
この短編を編集したのは、クノップフ社の編集次長、ゲイリー・L・フィスケットジョン氏。
かなり癖のある編集をしている。
かーなーり、癖のある短編をチョイスしている。
それが面白い。

なんつうのかな。私、「編集」ってのがなんなのか、よくわかんなかったんだ。
編集ってのが何なのか、言葉は知ってて仕事はなんとなく知ってたけど、つまり本当にどういう行為なのか、ということが曖昧模糊として理解できなかったのね。
でも、あーこれが編集のひとつのやり方か、と言うのが、この本読んでふと分かった(気がする)。
そうか、これが編集なのか。

さて、内容。
しつこいようだけど、相当癖のあるチョイスだ。
基本的に、ハッピーな話じゃない。何がいいのか、言えと言われても困る。
でも好きだ。

「眠り」
怖い。救いがない。
孤独で孤独でしかたがない。平気な顔をしてみても無自覚であっても孤独だ。
少しずつ歩むべき道がそれていく。
はじめは小さなずれなのに、どんどんどんどん進んだ結果、気がつけば、もう取り返しのつかないところへ来てしまっている。
例えばはじめは角度にしてたった3度の違いだったかもしれない。
100m歩いたくらいじゃその3度は一またぎ程度の幅しかないだろう。
でもそれが、100キロに、1000キロになったとき、もうその幅を超えることは出来ない。
ということを、考えてしまった。

「ファミリーアフェア」
本当の生活って何だろね。
全く違う種類の人間ているよね。
どっちがいい悪いじゃなくてさ。

「TVピープル」
わけわっかんないけど好きな話だ。
認識のずれ。ディスコミュニケーション。わかりあうってなに?共通の認識ってなに?
取り返しがつかなくなる、そのポイントはどこ?
思うんだけど、この話はさ。
たぶん英語で読むより日本語のが面白いんじゃないかな。
このTVピープルの怪しい(笑)響きがさ。いいんじゃん、この話は。
"TV People"てなっちゃうと、普通なんだもん。
TV人でもTV人間でもなくて、TVピープルなのがいかがわしくて面白いわけで。
どうなんでしょう。英語の方も読んでみたくなった。

「中国行きのスロウ・ボート」
村上氏の小説で中国人と言えばどうしてもジェイを思い出しちゃうんだけどね、あたしは。
誇りを持つこと。

「緑色の獣」は今回読み直して少し好きになったかも。

思うけど、最近、小説はほんとに村上春樹しか読んでなくないか?
ちょっと食傷気味になってきた。いや、好きなんだけど。
しばらくは違う本を読んでみようと思った。
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松本竣介

松本竣介 新潮日本美術文庫45
解説:浅野徹/新潮社(1996)
★★★★☆☆☆

まあちっこい本ですが。ざっと作品を観るにはイイかなと。
絵は文句なくいい、本としては…。どうかな。

松本竣介です。
好きだ好きだと言いながら、その実、あまり観たことがなかったので、本を借りてみました。
案外、こう…マチエールの激しい人だったんだな。
生で作品を観たことは2回しかなくて、どっちも同じ作品だったんだな。
たしか一連の「Y市の橋」の中のどれかだよ。空が蒼くてひと気のない街の絵ね。
で、それは結構フラットな面だった気がするんだが。
版画的な印象を受ける絵だったんだな。

マチエールって…どうなのかなあ。
あんまり好きじゃないんだな。
いっぱひとからげには言えることじゃないけど。
マチエールの凹凸を多用した絵を見るとさ、それが気になってうまく観れないんだよ。
まあ、マチエールが物質としてマチエールに見えちゃう絵ってどうなのよ、という気もするし。
(見方がうがってるのか?ナイフでこうやって、とか豚毛の筆で、とか作り方を考えてしまうんだー)

つーことで、松本氏も、あれですね。
あのぺたーっとした白い空とかパッキリした黒い煙突とか、あのへん好きですね。
白と黒が美しいと思うんだよなあ。あの白と黒の境目が。
ナイフの跡がギシギシ残ってるような奴は…そうか、あんまり好きくないなあ。作品によるけどさ。

この本の解説を読んでると、藤田嗣治の影響が見られる、云々が結構多くてびっくりした。
人物像の肌のマチエールとか、細部のこまかーい描写とか、表面のつるっとした感じとか。かな?
へえ、知らんかった。
でも、受ける印象は全く違う。技法的なことや構図が似ていても、描いた人が違えば違うものだものね。
(単に藤田がキライだからそう感じるだけかな(笑))
解説について言えば、気になるのが「画家の像」の解説ですね。え?とか思う。
よく戦争画問題で出てくる41年の「みづえ」の座談会の一節を引っ張ってきててさ。
なんか松本が戦争を肯定してたみたいに聞こえるのです。
ものごとの一部だけを切り抜いてみせれば、それは正反対の意味にも見えてしまうじゃない。
ちょっとなー、この引用はないだろう…。
巻末の解説を読めばそうじゃないことがわかるけど。
このページだけ読んだら誤解するぞ。それって編集的にどうなのよ。
解説者の意図が、ちょっと分からない。
ゆえに本としてはイマイチ。ぶつぶつ。

それにしても、松本氏は、穏やかな絵を描きますね。
穏やか?いや、静かな。
街の雑踏を描いていても、むちゃくちゃ静かだね。
人目を引くガツンとした絵ではないけど、隅っこの方に(失礼。でもそんな感じ)じっとそこにいるって感じで。好きだなー。
観てるとじんわり涙が出てくるような。
たくさんじゃなくて、一点を長く観ていたい絵ですね。
うちの母親は「暗い!」と一刀両断だけど(笑)、部屋に置いときたいなー、私は。
親密な空間で一対一で観てたいと言うか。
松本氏の写真を見ると、あーそうだよね、こういう人だろうと思ってたよ、と納得の面相。
話しかけたらとりあえずにこっと笑ってくれそうな(笑)。
こーいう人好きだ。
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2005年04月03日

心臓を貫かれて

心臓を貫かれて
マイケル・ギルモア/訳:村上春樹/文芸春秋(1996)
★★★★★★★

昨晩から読みはじめ、明け方まで読んで、昼まで寝て、それから夜まで読んで、終了。
な、ながかった…。
約600ページで、昨今見かけなくなった2段組。
まっ、昭和や大正の本に比べたら格段にフォントはでかいけどね。
しかしなんて言うんでしょう。面白い。
いや、面白いっていうか…違うな、なんだろな、…ええと。よんでよかった。
あたし読んでよかった。

ノンフィクションです。
1976年、ユタ州で2人の人間を殺害した、ゲイリー・ギルモアを巡るクロニクル。
ゲイリーの弟であるマイケルが書いています。
当時はかなりスキャンダラスな事件だったようです。
事件そのものと言うよりも、ゲイリーという人間、それからゲイリーが自ら死刑執行を強く望んだことで。
通常は死刑宣告されても、結局それは執行されずに、無期懲役を意味していたわけなんだけども。
ゲイリーは自分からユタ州に対し、死刑執行を求めたんだよね。
で、結果的には、ゲイリーは自分の望んだように、銃殺刑に処せられるんだな。

そのゲイリーの殺人や死刑執行に至るまでの道筋を書いているのがこの本です。
ゲイリーの両親のこと、そのまた両親のこと。
ユタ州という、一種独特の土地のこと。
宗教のこと。
そういう、絡み合いもつれ合い深く根を張った事象が描き出されていく。
さまざまな人や物事が、さまざまな時間や場所のあるポイントで、それぞれの布石を敷き、伏線を張り、そして負の遺産を引き継いでいく。
ここまで損なわれなければならないのか?ってくらいに、損なわれていく。
まあ、内容については、どうぞ、本を読んでください。

『海辺のカフカ』でも思ったけどね。
人間を深く深く損なうってのがどういうことなのか…。
互いが互いを傷つけあい、誰が加害者で誰が被害者かなんて、全く見分けがつかないくらい、皆傷ついてめためたになっている。ただただ、やるせない。
わからないな。
私はね、基本的には色んなことは最終的には本人の責任だと考えている。
どんなに劣悪な環境だったとしても100%自分の意志が成立しない世界ってのが果たして存在するのか、私にはわからないんだ。
どこかでその人は何かを選べたんじゃないのか、って思うんだ。
でもそういうのが、なんか揺らぐ。
たとえどんな酷い目にあったとしても、最終的にはそれはあなたの選んだ道です、なんてのは。
たぶん、無事に子供時代をくぐり抜けられた人に対しての言葉なんだろうな。
修復不可能に損なわれる以前の人に言える言葉なんだろうな。
あるポイントを超してしまった人たちへは、言えない言葉なんだろうな。

うん。つまり、私は絶望ってやつを知らないんだ。
私は常に、絶望した本人ではなく、周囲の人たちの中にいる。

うまく言えないんだけどさ。
絶望のあちら側と、こちら側。っていうのかな。マイケルはこちら側の人なんだと思う。
あちら側の人たちを見るのって、ほんとにしんどい。
その人たちが、修復不可能に傷つき損なわれている姿を見て、正直、腹が立つんだよね。
救われようとせず自分で自分の足を引っ張ってるのを見るとさ。
自助努力をしない人を手助けすることなんて、周囲の人には決してできないんだからさ。
ゲイリーが死刑執行を求めたとき、マイケルや母親はそれを阻止しようとする。
でも、例え死刑が執行されなくてもゲイリーはさっさと自殺しちゃうだろうな、ってこともマイケルは分かってる。
そのうちに、それは本当にマイケルの腑に落ちてしまう。
「僕はゲイリーの代わりに生を選択することはできない」とね。

喪失感と、無力感。
マイケルのさ。感じた罪悪感だとか。
つらい。
誰かを選ぶことが誰かを傷つけるような、そんな家族関係。選択の余地なくそこにしっかり組み込まれた自分。
みんな、ただ幸せになりたかっただけだろうに。
何より切ないのは、それでも、マイケルも他の兄弟たちも、両親もさ。
それでも、やっぱり優しさを持っているんだよね。
血も涙もないなんて嘘なんだよね。
たとえどんなに歪んでいようが、それでも、やっぱ愛してるんだよね。
それが、喜ぶべきことなのか悲しむべきことなのか、わかんないけどさ。

それにしてもどこかで。どこかでうまく救われることができなかったのか?
と、やはり思ってしまう。
以前さ、子供と関わる仕事をしていた時に、ある中学生の女の子を担当?していたことがあってさ。
家庭のことや学校のことを聴くにつけ、本当に哀しくて堪らなかった。
なぜこの子がそんな思いをしなくちゃならないのか?と思うとね。
子供はさあ、家庭から逃げることができないじゃんか。でも子供は子供の人生があるはずなのにさあ。
どんどん、どんどん損なわれていく。損なわれる必要なんて何一つないのにね。
そして私は何にもできないんだよ。
ただ話を聞いて、せめて祈ってあげるくらいしかできないんだよ。
人が損なわれていくのをただ見てるだけなんて厭だ。だけど、何にもできないんだなぁ。

誰だって最終的には一人で生きて一人で責任を果たしていくしかない。
たしかに、こういう認識はあまり愉快なものじゃない。
そうか。
他人を拒絶してしまうという点において、結局は自殺を試みるのと同じなのかもしれない。
他人の人生に対して傍観者でしかあり得ないことに腹を立てた自分が、他人を傍観者として断絶しているのかもしれない。
そうありたいわけではないんだけどな。…だってわがままだぞ、これカナリ。

それでも、と、やっぱ思いたいんだよ。それでもね。

ところでマイケルは、この本を書いて、少しは救われたのかな。
そうであって欲しいけど…。
少なくともさ、文章を書くってのは自己救済のひとつの方法だよね?
言葉にするってのはそれだけで、自己との切り離しだよね?
それとも、言語化することで、明確にすることで、より傷ついたりするのかな。
私、この人と誕生日一緒なのよー。なんか…がんばって。欲しい。

ああ。
いつになったら救われるんだろうなあ。
ゲイリーは救われたかなあ。フランクは救われたかなあ。

余談ですが。
ユタには、一度立ち寄ったことがあります。
バスで大陸横断した時にソルトレークに行ったな。ほんとに中心部しか見てないけど。
こう…宗教的に整った街なんだなと思った。ちょっと独特な雰囲気。
ワイオミングのなーんもない土地から行ったからかも知んないけどさ(笑)。
家がこぎれいで…壁がピンク色とかに塗られてて…モルモン教の教会でパイプオルガン聴いたりした。
花が咲いてて、教会の人は親切で、日本人のモルモン教徒に案内してもらった。
あと、いつぞや北の丸公園をブラブラ散歩している時に、ユタ出身のアメリカ人にナンパ?されて。
ユタの話を聞いたこともある。ちょっと…変わった人だったなあ。尺八ふいてたぞ(笑)。
アメリカって州によって気質みたいなものが全然違うんだなあ。ま、アメリカだけじゃないけど。
その土壌で育まれるナニカってのが、あるよね。たぶん。
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ナチス時代のバウハウス・モデルネ

ナチス時代のバウハウス・モデルネ
編集:ヴィンフリート・ネルディンガー/訳:清水光二
★★☆☆☆☆☆

ナチズム支配下でモダニズムは如何に機能したか…、という、まあ論文集?みたいなやつですね…。
クレー好きだしさ、大学のレポートでも使えるかなあと思って。
……ざ、挫折した。

何がつらいって。あれですよ。
図版資料がない!あるけど少なすぎ!!
文中にさ、(参考図版1)とか、出てるのに、その参考図版そのものが本に載ってないんだよね…。
権利の問題とかいろいろらしいのですが。
図版がなくても支障がない、みたいなことを書いてるけど。
つらすぎる…。
私…ドイツの作家だとかデザイナーに詳しいわけじゃないからさあ。
図版がないと、作家名だけじゃどんな作品なのか思い浮かばないんだよね。
訳者曰く、図版の見たい方はドイツ語版を入手してください云々。
……いや無理です。

まあなんて言うんでしょうね。
バウハウスってかなり興味あるのですが、いまいち私、理解してないです。
一通り理解して読んだら、面白かったかもしれません。
出直しです。無念。

ということで、ベルリンのバウハウス資料館のサイトに行ってきました。
当たり前だけど、ドイツ語です。…うう。
サイト自体はさすがかっこいいや。ソースはいまいちだけど、見た目はいいな。
ちょこっとだけど、バウホイスラーの作品が見れます。

バウハウス資料館(ベルリン)
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2005年03月27日

ナイン・ストーリーズ

ナイン・ストーリーズ
J・D・サリンジャー/訳:野崎孝/新潮文庫(1974)
★★★★☆☆☆

サリンジャー自選の9つの作品を集めた短編集。
初めて読もうとしたのは…高校時代?いや大学に入ってからかなあ。
何度も読もうとして挫折し続けた作品なんだよね(笑)。
300ページにも満たない薄っぺらな文庫なのに、読めないなんてなあ…。

私は高校生の頃くらいから、まあ、割と本を読むようになったんだけど。
日本の作品ばっかだったんだよね、ほとんど。
梶井基次郎、宮沢賢治、漱石、太宰、芥川あたりが好きだったかなあ…。
翻訳物の、ちょっとぎこちない日本語がキライだったのね。
だからサリンジャーは私の中ではかなり異色なんだよね。
この本は、収録作品の一つ「バナナフィッシュにうってつけの日」というタイトルに惹かれて買った気がする。
読んでみるとはっきり言ってすっごい謎…。
なんていうか。ものすごく居心地が悪いんだよね。
その居心地の悪さがしんどくて、全作品は読めなかったわけです。
でも、そのくせなんか妙にひっかかってくるものもあり。
この本を期に、すこしずつ外国文学に手を出し始めたような。気がします。

で、今回やっと全作品を読み通しました。
うん。…よくわかんない。
でも、なんていうんだろう。とても傷ついている人たちがいるんだよなあ、この人の作品にはさ。
個人では抗えない大きな暴力が、どかっと、カンバスの9割以上を占めてるんだよね。
それはさ、とても個人的な暴力なんだよ。
うーん…うまくいえないんだけどね。
時代やさ。戦争とか、世間とか、そういうマクロな暴力ってあるじゃない?
でもさ、マクロな暴力を構成しているのは…結局、わたしたち一人一人なわけ。
私たちの関係性なわけじゃない?
大きくて大きくて顔の見えない嵐みたいな暴力を、結局具体的に体現するのは、個人なわけ。
罪を憎んで人を憎まず、って言うけど、暴力ってやつは人の深いところに染み込んでしまうんだよ。
罪も人も分かち難くごちゃまぜになって、その人になっている。
その人も、だから傷ついているんだけど。でも、その人はまた誰かを傷つけたりする。
そうやって鵺みたいになっちゃった人たちが、サリンジャーの作品の9割を占めている。…ような気がする。
でもね、ときどき妙に見えるくらい繊細に優しかったりする。
さびしかったり、傷を見せたりする。
カンバスの、のこりの1割に満たない部分に、そういう優しさみたいなものが、時々垣間見えたりする。
それが、切ない。


個人的には、「エズミに捧ぐ」「愛らしき口もと目は緑」「テディ」「小舟のほとりで」が好きかなあ。
「エズミに捧ぐ」は終わり方がむちゃくちゃいい。

「愛らしき口元目は緑」、アーサーが良いですね。弱くて情けなくていじましい。
「おれももうあいつを愛しちゃいないけどね。いや、どうかな。
 愛してもいるし愛してなくもある。変わるんだよ。揺れ動くんだ。チキショウメ!」

「小舟のほとりで」はブーブーが素敵です。お母さん。
これは野崎氏の訳が良いんだろうなあ。原文、よんだことないけど。ブーブーの口調がすごく好きなんだよね。
ライオネルのことを「きみ」って呼ぶでしょ。あれが好き。

「テディ」も好きだな。テディの言い分は、分かる気がするよ。
ほんとに親子ってのは…。救い難い。

ひさびさに、『キャッチャー・イン・ザ・ライ』も読み返すかな、と思った。
posted by ヤブネコ at 18:38| 東京 ????| Comment(0) | TrackBack(0) | 読書 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年03月21日

戦争と美術

戦争と美術
司修/岩波新書(1992)
★★★★★★☆

いわゆる戦争画と呼ばれる軍部推奨の絵を描いた画家たち、描くことを拒否した画家たちについて。
主に藤田嗣治、松本竣介を中心に書いています。
藤田は前者で戦争画をばんばん描いた絵描き、松本は後者です。

絵描きや文学者…まあ、ゲイジュツカと称される人々は、一見、時代と没交渉のようですが。
それは正反対で。
優れた芸術家は常に時代や社会ってものと真摯に対峙してるもんだ、と、私は思う。
山にこもって俗世間から離れて…なんて、ちょっと眉唾だよなあ。(ひねくれてるかなあ)
まあ、そういうわけで、1900年代前半。
絵描きたちに限らず、たぶん、生活者全員が何らかの形で戦争と密に関わっていた時代ですね。
二次大戦が始まると、絵描きたちも前線へ送られるようになります。
そこで見たものを描くわけですね。
とはいっても、兵士や国民の戦意高揚のための絵を描かなくちゃいかんわけで。
「絵画が直接にお国に役立つと言う事は何と言う果報な事であろう」てなわけで、藤田、小磯良平、宮本三郎、猪熊弦一郎らが描いてます。(ああ猪熊、お前もか…)
で、そういうのをかき集めて「大東亜美術展」とやらをやらかす。
それに天皇がきたとあれば長蛇の列で国民こぞって観に行っちゃって、果ては玉砕の絵の前に賽銭箱まで置いちゃう始末。
なんつったって、その当時戦争画を描けば、お国からは誉められる絵の具は配給されるで、まあ、結構なことだったらしいんですね。
要するにプロパガンダと言うのかな。
自由でなければならぬ芸術がファシズムの神輿担ぎをやったわけだ。
(まあ、そういう戦争画が芸術と呼べるならばの話だ)

一方では、戦争画を描かずにやってた人たちもいて。
でもそれはとても少数派だったみたい。松本竣介、曖光、鶴岡政男などなど
だからといって戦争反対!なんて言ってたわけじゃなく、また、消極的にせよ戦争画も手がけていたとかいないとか、いうけどもね。
それにしても、言論統制の敷かれたあの時代に、戦争画じゃない絵を描き続けるのはしんどかっただろうなと思う。
ただでさえ、絵描きなんて役に立たないヤツラだ程度の認識しかされてなかったのにさ。
そこへもってきて「お国の役に立つ」戦争画も描かないで、となると。ねえ。

戦時下における芸術のあり方。と言う問題は、別に日本だけじゃないよね。
ナチの退廃美術展は有名ですね。あたしはクレーが好きだからさー。
というか、20世紀絵画を勉強するなら、やっぱ戦争との関係は、切っても切り離せないものね。

なんていうんでしょうね。
私は、大学時代は油を描いて、今はデザインに足を突っ込んでいるんだけど。
やっぱ自分ならどうするよ?と考えてしまうね。
善しにつけ悪しきにつけ国に目をつけられるほどの力は無いけど(笑)。まあそれはおいといてぇ。
芸術家なりデザイナーって人たちは。どうあるべきなのかしらと。
絵を描いてるときより、今の方がそれはすごく思う。
それは何のためのデザインか?ということ。を抜きにしたくないのだ。
自分の主義主張に反する事の片棒を担ぐような事は、あたしはしたくないんだ。
デザイナーとしてね、ただ純粋に創る事が楽しくて楽しくて創るってのもある、と思うけど。
(ああでもそれは芸術家の役目だな。デザイナーがやるべき事じゃない…)
問題なのは、自分が何をデザインしようとしてるか、ってことさ。
金ヤルゼと言われても、例えば企業としてちょっとどうなの?ってとこのはやりたくない。
すごいクールな商品を売っていても排水を垂れ流すような企業とはやりたくない。
すごい美味い食べ物つくってても従業員の人権無視するような企業とはやりたくない。
本当に伝えたい事がある人たちのために、あたしは働きたい。
なんか。そういうの理想だって分かってるけど。
こういうのこだわりだしたら、にっちもさっちもいかなくなるのかもしんないけど。
でもさー。デザイナーは考えた方がいいとおもうんだよね…。あのう、あたしが言うのもなんだけど。
やっぱ。デザインする力って、一個の特技だよね。
悪く使えば、どんな悪いものでも良さそうに見せられちゃうんだもの。
でも。そういう仕事、デザイナーとしてどうなの?かなあ?厭じゃないのかなあ。
あたし、商品売るためだけのデザイナーにはなりたくないんだ。
そのためには…とにかく力量を上げる事だね。……はい。

話がそれてしまった。

ちなみに藤田に関しては。戦争が云々を抜きにしても、私どーーーも好きじゃない。
一見清楚?に見えて、その実ギトギト気障で派手で厭味ったらしい…、と、あたしは感じる。
たぶん友達になれない…(笑)。
賽銭箱置いて云々も、藤田の「アッツ島玉砕」だったかな。
んーー…。とりあえずデカイ(笑)。200号だっけ。いわゆる写実。でも俗っぽいけどなあ。
好きじゃないなあ。
他の戦争画もね。実家に戦争画の画集があって見たんだけど。
で?みたいな。
たぶん、今の人が見たら本当に通俗に見えると思う。面白みも無いし。見飽きた感がある。
ものを幾分美化して写すのは巧いよ。でも、そんだけだ。

この本の中にも書いてるけど、本当に問題なのは、画家なんじゃなかろうか。
絵描きの人生に興味があるっていうか。絵はその結果に過ぎないからさあ。
絵画は絵画としてそれのみを純粋に鑑賞すべきだ、と言う人もいるけど。
私はどっちかつうと、それを描いた人に興味があるかな。そりゃ作品も大事だけど。
何を考えながら何を見て何故その時その絵をその人が描いたのか?
やっぱ生き様が。苦悩のしかたが。迫ってくるのです。
だから価値があるんじゃないのかな。

ところで、シャガールがユダヤ人だって知らなかった。
この本で紹介されているシャガールの献辞が痛々しい。
そうかー。そうだったのか。あの人の絵、どっか憂鬱だもんなあ、
ピカソの「フランコの夢と嘘」も、もーのすごいです。あの詩は圧巻。ぜひ一読を。
シャガールもピカソも作品としてはあまり好きではないんだけど、やっぱ、こういう発言を見るととても興味深く思います。

司修も絵はあんまり好きじゃなかったりするんだけど。
司修が装丁や挿絵をやってる本に好きなのが幾つかあるので…自ずと手元にある。
松谷みよ子の『ふたりのイーダ』がむっちゃくちゃ良い。
これはヒロシマをバックグラウンドにしたお話。子供向け(講談社の青い鳥文庫なんだよ…)だけど、大人になってから読み返した時の方が感動したな。

というわけで。
今日は絵を5枚ばかり描いた。小さいドローイングだけどね。
それから図書館で『ナチス時代のバウハウス・モデルネ』『パウル・クレーの芸術』を借りる。
シャーロット・ブロンテの『ジェイン・エア』を借りにいったはずなのだが…。
さあ、引き続き読書です。
posted by ヤブネコ at 22:47| 東京 ????| Comment(1) | TrackBack(0) | 読書 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年03月13日

村上朝日堂はいかにして鍛えられたか

村上朝日堂はいかにして鍛えられたか
村上春樹/朝日新聞社(1997)
★★★★★☆☆

あっはっは。
普通に面白かった。声を出して笑うくらいおもしろかった。
こういうの、ほんとただの好みの問題だよなあ。
村上春樹が嫌いな人は、まったく面白くないだろう。
好きな人は、そうかマラソンでもはじめるかな、と思うに違いない。(そうか?)
安西水丸の絵も味があって?好きです。
(この本の中のエレベーターガールの絵がすっごい気になる。
 なんか微妙なポーズなんだけど、エレベーターガールってあんな手振りするっけ?)

空中浮遊の夢について何度か出てくるけど、あたしは一度だけ、空中浮遊の夢を見た覚えがある。
浮遊と言うかなんと言うか、結構切なくってさあ。
夢の中で、そうだ私って飛べるんだったよね、とふと思い出し、家の二階の屋根から飛ぼうとするんだ。
でもいざ屋根の端に立って下を見ると、結構高いんだよね。
怖いなあ、でも飛べるはずだよなあ、と思って、エイヤッと飛ぶんです。
すると案の定…というか何と言うか、重力に負けて落下しちゃってさ。
あーやっぱ駄目だ!堕ちる!と思った途端、ふわっと浮かぶんだよ。
それも、地上すれすれ、20センチくらいの高さで(笑)。
おかしいなあ、もっと高く飛べないんだっけなあ、とアスファルトの道路に鼻を突きつけながら、しばしうつ伏せでふわふわ浮かんでるんだよね。
(私の横を犬が同じ目線の高さで歩いていったりして、傍目にはかなり間抜けだ)
でもそのうち、やっぱ飛べないんじゃなかったっけ?と疑うのね。
そしたら、その途端、ぺたん、と地面に落ちちゃうの。なんせ20センチだから痛くも痒くもない。
……。
なんか、哀しくないですか。
つうか情けない。情けなくて泣いた(笑)。

あとは、もっぱら落下の夢かなあ。
高いところからおっこちる。お城の濠に落ちたり(笑)。あと何かに追いつめられる。とか。
何にせよ、私は夢を見ているとき「これは夢だ」という自覚が全くないのね。
うん。一度も自覚したことが無い。
「自分が夢見てるって分かったから○○をしてみた」みたいことを話す人、いますよね。
それって、かーなーりうらやましい。
だってそれってある意味最強じゃないか。夢ん中なんだからすきなことしちゃおう!みたいな。
いいなあ…。

本日は本の感想3連チャンでした。

目はだいぶ治りました。でもまだ充血してます。
ネットで色々調べたけど、これは涙嚢炎ってやつかもね。
なにが直接的な引き金になって発症するのかよくわかんないけど。
目の病気はほんとにびびります。検査がむちゃくちゃ怖いから。
(私は眼底検査が何より怖い。
 瞳孔全開で光をあてられると脂汗たーらたら、心臓ばくばく、
 怖くて怖くて叫びだしたくなる(危ないやつ…)
 でもうちの母親は眼底検査なんて全く平気らしい。なぜだ)

今日は早く寝ます。明日こそは美容院に行けますように。
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2005年03月12日

水に眠る

水に眠る
北村薫/文春文庫(1997)
★☆☆☆☆☆☆

……おっかしいなあ、北村薫、好きだと思ってたんだけど。
北村薫が好きです、と言うのをやめようかと思ってしまう。
あのーう、イマイチでした。
『スキップ』とかの三部作が好きなんだよね、あたしはさ。
甘ったるいところは多々鼻につくとは言え、読後感はいいし、再読にも耐えるし。いいかなと。
思ってたのになあー。

今回のコチラは短編集だったんだけど。
えー、と。
なんで女性社員は男どもより会社に早く行って机拭きお茶汲みなんぞやってんだ?とか。
そういうことは女に相談するのよ、とかいう台詞とか。
なんか疲れたカップルとか。
疲れた親父とか。
そーいうのばかりが一々煩わしく癇に障っていけない。
あと、どの作品も予定調和すぎた。結末が見えちゃうんだもん、すぐに。
こう…こっちの想像のさ、範囲を出ないんだよね。ああやっぱそういうオチかい。という。
物語の筋の奇抜性云々じゃなくてさあ。(設定そのものが奇抜な作品はあったけど)
なんか二次元的でさ。のっぺり。

そして、なにがいけないって、解説がいけない。
作品が11編、それに合わせて解説が11人。
一人あたり数ページなんだけど。いやべつに長さとかどーでもいいんだけど。
なんていうのかなあ。
そもそも、現代小説の解説なんて、かなり俗悪だといつも思う。
たいていが同業者同士の誉めあい…といえばまだマシだけど、なんつうの、ただの狎れあいじゃんか。
まっとうにきっちり解説/批評なんてしてないじゃんか。
ありゃただの感想文。小学生のがマシです。
○○先生の作品の魅力、とか。そういうやつばっか。そもそも先生って、なんだそりゃ。
阿呆らしいことこの上ない。
それが11人分並べば、げっそりも11倍だ。
なんか解説を書いた人が作家なら、その人の作品も読むのやめとこう、とか思ってしまう。
特に自分がイマイチだなと思った作品を、素晴らしいだの流石だのと臆面なく並べ立ててる作家は、信用ならん。
(好みの違い、と言われたらそれまでやけどね…)

ああー。なんか…。ちくしょう。なんだこの悔しさは。
ところで、私は三島由紀夫がむちゃくちゃ苦手です。はっきり言えば嫌いだ。
嫌いだけど、でもあの人の短編はそれなりに、それなりだったよ。
(さすがに長編は読めない。もう文体とか語彙からして苦手で読むのがつらい)
三島って頭がちょっといいだけの作家なのかな、という気もしないではないけど。
まあ善しにつけ悪しきにつけ存在感はある。(それはあの人のキャラが、なのかな(笑))
嫌いだけど、肩すかしはそんなに食らわないと言うか。
読むんじゃなかった…という後悔には襲われずにすむ。

で、こんかいのこの本は…。
ちくしょう。
なまじ短編集で、次の作品こそは…とか思って、結局全部読んでしまった、自分が悔しい。
なんか納得いかん。
好きだった作家だけに、ちょっとブルーです。
ああーー、表紙がおーなり由子の時点で手に取るのをやめるべきだった!!
くそー。くやしくて長々と書いてしまいました。
ちっくしょう…。
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村上春樹、河合隼雄に会いにいく

村上春樹、河合隼雄に会いにいく
河合隼雄・村上春樹/岩波書店(1996)
★★★★☆☆☆

物語について語っているあたり、もうちょっと理解したかったな。
何となくさらっと読めてしまって終了。
時期柄、『ねじまき鳥クロニクル』の話題が多かったけれど、あれは随分昔に読んで、しかもあまり憶えていないので、うーん、微妙。

話はずれるけど、箱庭療法って面白いです。
いちど、何の気なしにやってもらったことがあって、それはそれは見事に自分が出ていてギョッとしました。
専門の先生にではなく、なぜか大学の文学の先生にさ(笑)。
何も考えずぱぱっと作って、出来上がりを自分で見ても意味が分からなかったんだけど、先生に説明してもらうと「ああそうか!」と膝を打つところがものすごくあった。
まーじーですごいよ。
友達もやってもらったんだけど、その子の作ったのは私のとはまた全く違って面白かった。
なんて言うのかな。
それこそ、物語性というの?箱庭が発散する空気みたいなものが、まったく違っていたのね。
(世界観が違うんだよ、私とその子はものすごーく。それが表出してる感じで面白かった)
物語る、という点で、絵を描くことや本を書くことと同じことなのかもね、あれは。
絵を見ても何となくその人の空気感ってのがわかるけど、技術力が関係ない分、箱庭はさらにくっきりその人が分かる、って感じだった。
ちなみに後日、もう一回箱庭をやってみたとき、前回を意識しすぎて上手くいきませんでした。
ロールシャッハはきちんと専門のとこでやったのだけど、これもイマイチだった。
こういうやつって、なまじ事前に知識があると駄目かもしれないねー。
それとも、ちゃんとした人にやってもらえば、大丈夫なのかな?

まあ、余裕があれば、「ねじまき鳥〜」を再読しよう。
と思ったのであった。うむ。
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2005年02月26日

本格小説(上)(下)

本格小説(上)(下)
水村美苗 新潮社(2002)
★★★★★★★

でました★七つ。
上下巻に別れていてそれなりのページ数なんだけど、一気に読破。
ああ言葉が出ないよ。(とかいって、でも何か言わなくちゃ気が済まない)
むっちゃくちゃ、ほんとに無茶苦茶によかった。
前作『私小説』も★七つ級だったけど、いやこれもよかったです。
今読み終わったところなので、なんか、また泣きそう。涙出る。
なんていうんだろうね。
思いっきり、大泣きしたいような。なんでだろうね。
哀しいとか嬉しいとかそういうのがごちゃ混ぜな…、そう、こういうのを本当に切ないというのか。
いやでも、切ない、なんて言う言葉で片付けていいのか?
なんて言ったらいいのーーー!誰か読んで!そして喋って。何がよかったの?
ああどうしたらいいの。
言葉を尽くしてもなんか軽薄だ。
誰か読んで。誰か共有して頂戴。

興奮冷めやらぬのでろくなことを書きそうにないのですが。
誰かが誰かに惹かれる引力ってのは、本当になんなんだろうか。
恋愛ってやつですか。
いったいほんとに何なんだろうか。
自分のことじゃなく他人のことで、本当に自分の生き死にがかかっている。
厄介なことに、自分一人では勿論生きていないから、家だって社会だって…なんにせよしがらみが必ずついて回るからさあ。
恋愛ってほんとに…救いがたいのかもしれないなあ。
でも誰かを好きになることで、救われたりもするんだよなあ。
冗談じゃなく大袈裟でもなく本当に生き死にがかかっている。
殺しちゃいたいような殺されてもいいような、そんな恋愛が。この世の中には確かに存在する。
それって怖いことなのかもしれない。
それとも、尊い、と呼べるんだろうか?

それから、物語るということ。
『ダスト』を思い出してしまった。
この小説はさ、基本的には実話なんだよね。
そんなこんなで、父方の祖母を思い出す。
うちの父方の家は離婚だの蒸発だの養子だの結核だのその他諸々、ヤヤコシイ話が多いんだけど。
なんていうかな。うちのばーさん、それなりにすごい人生だったんじゃないかな。
と、おぼろげにいつも思うんだよね。
生まれてこの方3回しかあったことが無いのに、でも不思議なことにこのばーさんが最も自分に近しいと思うんだ。
両親よりもある意味、血がつながっている、と強烈に感じるんだよ。
あの人は、いったいどんな思いでいままで生きてきたのかな。
と思ってしまう。

語られずに消える物語のなんと多いことか?
消える前に、聞かなくては、と思ってしまう。早く聞かなくては。
星野道夫がさ、アラスカの老人の話を熱心に聞いていたんだって。
その気持ち、すこし分かる気がする。
物語ってやつはすべからく喪われるものなんだろうからね。

物語を語ること、聞くこと、の意味は何だろうか。
誰かに憶えていてもらうってそんなに大事なことなんだろうか。
うん。大事なんだろうね。
思い出だの、過去の意味は何?

それから郷愁。
変な話だけど小学生の頃からずっと、郷愁というものを感じていたんだよね。
いやまじで。なんかこう言ってしまうと陳腐極まりないけど。
具体的な香川のその家に対してなのか、風景なのか、…いや違うな、時間そのものに対する感情なんだな。
どれもこれも必ず喪われるって実感なんだ。それが郷愁ってやつなのかも。
それは人に対してもさ。
渋い小学生だったなー…(笑)。

で『本格小説』。
とりあえず、もう一回読もうと思う。
そしたらまともな感想が出てくるかも。

自分にめちゃくちゃ合う作品に接する度に、お願いだから誰か分かって!と思う。
こういうの共有できたらなあと思う。
でもきっと、読む人により、琴線に触れる部分も度合いも違うわけで。
同じテンションで共有なんてできなんだろうな。
いい作家ってのは、多数の読み手に「この作家の言わんとすることは自分にしか理解できない」と思わせることができる人だってのを、読んだことがある。
(太宰とかがその手の作家だ、と言っていた。まあそうかも)
そういう基準で見るならば、水村美苗は間違いなくいい作家だ。
私にとってはね。
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2005年02月19日

レキシントンの幽霊

レキシントンの幽霊
村上春樹/文芸春秋(1996)

「レキシントンの幽霊」「緑色の獣」「氷男」★★★☆☆☆☆
「沈黙」★★★★★★☆
「トニー滝谷」「めくらやなぎと、眠る女」★★★★☆☆☆
「七番目の男」★★★★★☆☆

短編集です。
「沈黙」が面白かった。
人間の深みね…。そうだね。
世の中には馬鹿者を尊敬する大馬鹿者が山ほどいる、とホームズ氏も言ってたね。
なんていうかな。
先日の判断云々にもつながるんだろうけど、こう、自分には関係ないけどいらだつことあるよね。
底の浅い人間を見てると苛々する。
(見た目とか学歴とか仕事とか性別とか国籍とか出生とか一切関係なく、ただ単に、底の浅い人ね…
 というか、そうね、深みだとかその存在を想像すらできない人ね)
でもさ、そういう人を馬鹿にしつつも…そう、たとえば殴ってしまったら、自分もその人と同じ地平に落ちてしまうんだよな。それって悔しいと言うか…屈辱だ。
殴るどころか関心を向けることすら腹立たしいんだ。無関心に徹したい。
(こういう物言いは厭がられそうだなあ。やなやつかなあ)
なんていうんだろう。
自分と相対する誰かはさ、常に自分を反映してると思うんだよね。
語彙が曖昧だな。ええとつまり、主体としての私は常に私に向き合う他者に反映されている。
あのね、井上雄彦の『バガボンド』で胤栄が武蔵に言うじゃんか。
武蔵自身の殺気が出会う人すべてを敵にしているんだ、みたいなことを。
ほんとうにそう思うんだよね。
どんなに「ああこの馬鹿てんで話になんねー」とか思い上がってみても、そういう相手と相対する自分自身はどうなのかと、常に問われるわけだ。
そういう相手を本気で殴ってしまう私は、では、その相手と何が違うのか。
同じ土俵に上がっているんじゃないのか。だとしたら、自分も相手も同程度の馬鹿だってことじゃないのか?
それはさー自ら自分の価値を落とすことだよ。
なんだか話がずれてきたかな。
つまり、私はそういう相手を殴ることで自分自身を落としてしまうってこと。
そういう、こんにゃろ殴りたい!でも殴ったらお前も同じ穴の狢だぜ、という阿呆な葛藤の地平をさっさと去りたい。
てことです。
あ。別に普段から誰かを実際に殴ってるわけじゃないよ(笑)。例えとしてね…。
(ひそかに悪態はついている。それがいけないのだよ…)

「七番目の男」は不思議な話だった。
Kが波の中で笑っていました、という下りがすんごいコワイ…。
これもある意味、そうだね、他者に自分が反映されちゃう話でもある。のかな。
話はそれるけど、本当に怖いときって、本当に音も時間もなくなるよね。
昔いっかいだけ馬に乗っていた時にそういうことがあったなあ。
だから、この話の中で波がぴたりと止まって波に呑まれたKを「私」が見ちゃうシーンって、あるかもなあって思う。
恐怖そのものではなく、恐怖から目を背けることが本当に怖いことだ、と七番目の男は言う。
…ここでも『バガボンド』を思い出す私ってどうなの(笑)。
真剣に対する恐怖はどんな剛の者だって感じるんだ、強いってのはそれから目を背けるんじゃなくて、わきに押しやっておくことができることだ。みたいなことを言ってましたね。

「トニー滝谷」、映画になりますね。イッセー尾形が主演でさ。
(映画だと結末どうする気なんだろう…といささか心配になったりする。カタルシスはあるのか?)
淡々として(いや村上春樹の文章は常に淡々としてるけどさ)何とも言えない空気感のある短編だった。
割と好きだな。
どうしょうもない、喪失感。

「レキシントンの幽霊」。うーーん。まあ、普通かな。
ケイシーのお父さん好きだな。子供よりも奥さんを愛してる人ね。
うん…。子供としては親にはそうあってほしいからさ。
子供よりも親が大事。
夫婦はさ、どーーしょうもなく最終的には他人なんだからさ。
どうか、子供よりも妻だとか夫を愛していてもらいたい。
無理?というか比較の対象じゃないのかもしれないけど。でも。
これも誤解を招く発言なのであろうか…。

「めくらやなぎと、眠る女」は、もう一個の別バージョンを先に読んでたので、今回は妙な気がした。
その別バージョンとの違いが気になって、内容そのものにうまく入り込めなかった感がある。
でもモチーフは面白いし、雰囲気もいい。

「緑色の獣」と「氷男」は…いまいちかな。
「緑色の獣」は獣がかわいそうだし、「氷男」は主人公がかわいそうだ。
なんかこう…どっちも救いが無くて。
救いの無い話も嫌いじゃないが、うーん。いまいちでした。
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2005年02月18日

村上ラヂオ

村上ラヂオ/村上春樹
マガジンハウス
★★★★☆☆☆

まあええんじゃないでしょうか。
なんつっても、この連載が載ってたのがan anなんだから。
電車ん中とかでぱらぱら読むにはいいかもね。1時間もかからず全部読めちゃうんじゃなかろうか。

昨日は図書館で、また村上春樹の『レキシントンの幽霊』と、水村美苗の『本格小説』、それからソクラテスだかプラトンだかの岩波文庫を借りてきた。
こうして週末は読書で潰れる。課題はどうした。
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2005年02月09日

海辺のカフカ

海辺のカフカ(上)(下)
村上春樹/新潮社(2002)
★★★★★★☆

文句なしに面白かった。
なにから書けばいいだろうか。

言祝がれることと、呪われることについて。
基本的に誰だって何だって生まれるにあたっては、言祝がれるべきであると、私は思う。
誕生はハレに属するものであってほしい。
しかし現実的に見れば、呪われる…とまでいかずとも、心底言祝がれずに生まれる命の、なんと多いことか。
自分が加害者になっていたりもする。
生まれたばかりの、あるいは子供の…なんてんだろな、こういうとこっぱずかしいけど、そうだな、魂ってやつは簡単に傷ついたり壊れたり。する。
厄介なことには、一度呪われ損なわれた魂はなかなか元に戻らない。
大人になってからでも修復可能であると信じるけども、それには、ものすごい力が必要になったりする。

同時に、でももう、一度損なわれたものは永遠に損なわれているのだとも言える。
誰をどう責めても二度と手に入らないものがある。
少なくとも過ぎた時間は二度と手に入らない。
たとえそこで愛されるべきであったのに愛されなかったとしても、それをどんなに怨んでもそれはもうどうしょうもない。
公正であるか否かは全く関係がない。
どんなにそれが不当であったかを正しく立証できても、それはもう絶対的に手に入らない。

主人公のカフカは父親に呪われた少年。
いつか父を殺し母を姉を犯すだろう、と父に予言され続けた少年です。
カフカは物語の後半、自分から進んで呪いを引き受けようとするわけなんだけど。
つまり…呪いを完遂することで、そこからさっさと解放されたかったんだな。
そして誰の思惑にも巻き込まれない強い人間として、自分自身の生を生きるんだと願う。

誰の思惑にも巻き込まれない自分自身の生。か。
誰かのプログラムに組み込まれた自分ではなく、自分で決め自分で(自分のために?)歩く人生。

カフカがどうなるか?はどうぞ、本を直接読んでください(笑)。
ネタバラシはしないよ。

呪いかあ。
父や母から受け継いだ遺伝子だの血だのを憎むことは…、ひとつ残らず自分自身に突き刺さることになる。
そういう風に、父や母を憎まなければならないこと自体が、最大の呪いなんだよね、きっと。
夫婦は別れられるけど、親子は永遠に親子だもんね。
父や母や、それ以前の人々の、ろくでもない行状を見聞きすることは、こどもにとってなによりつらい。
直接自分が傷つけられないにせよ、それは必ず傷になる。
親や子を愛しているにせよ憎んでいるにせよ。それは同じものだからね。
そもそも…最もはじめは誰だって親を信頼してるはずなんだからさ。
そこには必ず裏切りが発生するわけだよね。
そこから解放されるには…完全に無関心になるか(つまり記憶も何も抹消しちまうしかないな)。
ゆるすか。なんだろうな。

ゆるすって難しい。言うのは簡単だけど。
ゆるしたくてもゆるせない。てのが、また……なによりも苦しい。

なんだか本の感想っぽくないんだけども。
この本を読んで、本当に身につまされて思ったのでした。
いろんなことを。
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2005年01月23日

神の子供たちはみな踊る/村上春樹

神の子供たちはみな踊る/村上春樹/新潮社(2000)
★★★★★★☆

いやあ、やっぱ村上春樹はいいわ。
これは短編集で色んな話なんだけど、やたら神戸の地震がでてくるなあ、と思ってたら、やっぱ「地震のあとで」という名前の連作だったのね。
村上春樹、神戸出身だったよね?
6つの話はそれぞればらばらでつながりはないのだけど、まあでも勿論流れはあって、いうなれば1枚のCDみたいなものか。
作品はひとつずつ完結するけど、でも、この順番で読むから味わえるものがある、っていうかんじ。

さて表紙が北脇昇です。ええっと、タイトル載ってないけど確か「空港」って絵だよこれ。
この絵、好きなだな。一回だけ本物を美術館で見たことがある。いい絵なんだ。

6の話の中で繰り返し出てくるのが、箱、断絶した人間関係、自分の中の非自分的なもの、損なわれた時間、自分の中の獣や石や…あるいは、やはり箱。
村上春樹はさー…。なんでかものすごく好きだからさー。
一体何がいいのか、どこが琴線に触れるのか、誰かに伝えようとすると、ああ無理だーと思ってしまう。
人間の感情を喜怒哀楽の4つに分けて、そこに何でもかんでも分類しちゃうのは乱暴だ、と糸井重里が書いてた。
そーなんですよ。
わかんないんですよ。
泣きそうになったりするんだけど悲しくてか嬉しくてか共感してか切なくてか、よくわかんない。

「UFOが釧路に降りる」
なんかひょっとしてイマイチ?出だしから?と疑わしく読んでいたら、終わり方がむちゃくちゃ怖かった。
取り返しがつかない。という地点。
最後の「蜂蜜パイ」にも出てくるけど、人生の歯車がひとつ進んでしまって後戻りできない瞬間って、あるよね。
それは傍目には対したことなかったりするけど、突然、腑に落ち出てしまったり、自覚してしまったりする瞬間が。
たとえそれが事実と違っていても、あ、いま自分が変わってしまった、と思う瞬間。
分岐点を超えてしまった瞬間。(まあ正確には誰だって今一瞬のうちにだって分岐点に常に立っているわけだが)
そういうお話でした。(ほんとか?)

「アイロンのある風景」
ジャック・ロンドンが読みたくなったね。
ああこの前古本屋にあったんだよ。…買っときゃよかったなあ。
三宅さんの夢がむちゃくちゃ怖い。
でも、それでも死ぬなんて駄目だ!と思ってしまう、私は、阿呆なのかな…。

「神の子供たちはみな踊る」
なんていうか。いちばんよく分からない話だ。
なんていうかなあ…。だから駄目なんじゃなくて、いいんだけど。何がいいのか、よくわかんない。
感想がよくわからない。好きなんだけど。

「タイランド」
舞台は勿論タイランド。
運転手のニミットが、なんせ良い。彼が幸せなのかどうかは分からないけど。
言葉は石になる、というくだりがね…なんとも。
石に関して、アメリカのネイティブの話を思い出しました。
うろ覚えなんだけど、悩みなり何か心を煩わすことがあったとき、彼らは石を持って延々と歩くんだってさ。
どんどん歩いていって、で、どこか遠い場所にその石を落とすのね。それだけ。
それだけなんだけど、ひとつ決まりがあって、二度とそこに行ってはいけないっていうのよ。その石を捨てた場所にさ。
それから石に関してもう1つ。
これも誰かの小説の中の話だと思うんだけど、死んだ人を火葬した後、時々石が出てくるっていう話。
それがいいものだったか悪いものだったか、覚えてないんだけど、白い丸い石が出てくる人がいるんだって。
ほんとにあるのかどうか知らないけど、まああってもおかしくないかな。と何となく思う。
言葉は石になるのだ。
そうなのか。

「かえるくん、東京を救う」
か、かえるくんって……。
村上春樹はたまに、なんだそりゃ??な登場人物?を登場させる。
あしか、とかさ。羊男とか。
で、このはなしのかえるくんは、蛙。まあそのまんまなのだが…。敵はみみずくん。
何が夢で何が現実であるのか?
夢がさ、現実よりリアルなことだってあるわけで。あったじゃん、胡蝶の夢ってのがさ。
究極的にはわからないんだよなあ。
子供の頃は、昼間でもいわゆる現実よりも頭の中の想像の方がリアルで、いつも、何もかもが反対だったらどうしようか?と考えてた。
例えば今は昼だけど、本当は夜だったらどうしよう。とか。
今学校にいるけど、家にいたらどうしよう。起きているけど寝てたらどうしよう。生きてるけど死んでたらどうしよう。ってね。世界がひっくり返るんだな。
そいういうことを思い出した。

「蜂蜜パイ」
この短編集の中でいちばんすきです。
じんせいってさあー…、そうなんだよねー、「そうあること」が本当に正しいんだと、みんなが分かっていたとしても、そうは行かないってことが…あるんだよなあ。
まあこの話ではうまく行くのですがね。
私がひねくれているからか、安直なハッピーエンドの話って好きじゃない。
んなのあるわけねーじゃん、とか、斜からものを見てしまいがち。…よくない癖だが。
そんでも、でもやっぱ、救いのない話は厭なのだ。わがままー(笑)。
駄目で駄目で駄目になったとき、でも、ちくしょーと思いつつも立とうとする。そういう姿が好きなのだ。
つうことでこの話はよかったです。

いいなあ。いい本だったなあ。
(ってしょっちゅう言ってる気がする。いやーハズレ本がないね、この頃)
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2005年01月22日

指ぬき/H・D・ロレンス

「指ぬき」/H・D・ロレンス(訳:小野寺健)
(『20世紀イギリス短編集(上)』/岩波文庫(1987)収録)
★★★★★☆☆

テーマは、人と人は分かり合えるのか?王道だなあー。
1915年に発表されています。
結婚して10ヶ月と2週間経つ夫婦の物語。
夫は2週間のハネムーンの後、すぐに戦争に行ってしまった。
そして、10ヶ月ぶりに家に帰ってくる、というところが物語の始まり。
妻は家で待っている。
しかし、何もかもが10ヶ月前と同じではない。
妻は肺炎を患ってやっと治ったばかりだったし、夫は砲弾で顎を吹っ飛ばされ顔がずたずたになったらしい。

妻は夫のことを勿論覚えていたけど、でも実は、夫そのものについて何も知らないことに気がつく。
彼女はカーキ色の軍服を着た実に立派で威厳があるようにみえた男と結婚しただけで、その男そのものについて深く知っているわけではなかったんだな。
そして夫にしたって、妻のことなんか何も知らないのだ。

さてこの2人がいよいよ再会するわけですが。
分かり合えるんだろうか?
2人の会話は、時々はふれあうんだけれども、基本的に噛み合ない。
なんというかな。目線が違うのだ。目線の高い低い、ではなくて、ただ単に違うんだな。
それが、夫にはあまり分かっていないかんじ。
夫は、妻が生きているから、こんな酷い怪我をしても死ねなかったという。
妻は、自分がいることが夫に何の関わりがあるのか?と反問する。
「私はあなたを愛せるかしら」
分かり合えるんだろうか。
愛せるんだろうか?

妻の心の移り変わりの描写がとてもいい。
いい、というか。巧いのかな。
ひとことひとことの会話を交わす間に、感情の針がアチコチに振れてしまう。
言葉は本当に武器と同じで、しかも余りに強力すぎる。
その凶暴な武器を持て余していて、本当に危うい。今にも誰かを殺してしまいそうだ。
怖い。

いい作品でした。
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2005年01月20日

船路の果て/ラドヤード・キップリング

「船路の果て」/ラドヤード・キップリング(訳:小野寺健)
(『20世紀イギリス短編集(上)』/岩波文庫(1987)収録)
★★★★☆☆☆

先日からまったりこの短編集を読んでおります。
なかなかいい作品が多く、一冊まとめて感想を述べるのがもったいないので、ひとつひとつ見ていきましょう。
まずは、この「船路の果て」。

舞台は大英帝国統治下のインド、1890年代に発表された作品。
主な登場人物は4人のイギリス人、それから苦力。4人はそれぞれ、鉄道の測量技師だとか医者だとか、インドの藩主国の政治顧問だとか。
植民地を支配する立場の彼らはしかし、安穏と暮らしているわけではない。
第一に気候。あまりにイギリスとは違う酷暑。
華氏100度を超えるという描写があるから、まあ、摂氏だと36度とかかな。湿気もすごそうだな。
あの乾燥した、冬の長いイギリスが普通な人たちにはそりゃ酷だろうな。
それから孤独。4人は近くに住んでるわけじゃなく、砂漠の真ん中だの僻地だのからようやっと集まってきている。
白人と接する機会は、普段はどうやらほとんどないらしい。
汽車も来たり来なかったり。
毎日コレラで苦力はばたばた死んでいくし。
政治顧問は宮廷の役人に毒を盛られやしないかといつでも気をもんでいる。
そんなわけで、白人が死んだ報せをきけば「自殺か?」と聞くのが当たり前のようになっている。
そんな世界です。さびしかろうな。

なんていうか。解説にも書いてたけど、斜陽なのです。大英帝国の斜陽。
今までは何もかもがうまく行っていたはずなのに、気がつけば泥沼に腰まで浸かって身動きが取れないような。
この物語の中で一人のイギリス人は遂に錯乱してしまう。
(ドッペルゲンガーを見てしまうシーンがあって。ああ19世紀末だなあ!)
ひたすら眠れず眠れず死んでしまう。
その描写が緊張感がものすごくて怖い。ああもう助けてくれ!と叫びたい。
死ぬことでしか。救われないのか。

その一方で、苦力…召使いたちは、冷たいくらいに冷静だ。
召使いは、物語の所々で見えないように現れる。食事の用意。寝床の用意。それから送風機の紐をひたすら引く。
召使いの描写は少ない、にもかかわらず、彼らの存在感は何だろう?
なんと言っても、そこは彼らの国なのだ。タムタムの音がする国。
イギリス人の一人が死んだとき、その召使いが神について少し喋る。
神か。

状況が悪く悪くて、自分がその渦中にいるなんてこと百も承知なのに、身動きが取れない。
ぜったいに間違っている、これはおかしいんだ。と、思ってるのに、その状況に呑まれている。逃げ出せない。
時代ってのはそういうもんなのだろうか。
黄昏れゆく時代はもう暮れるのみなんだろうか。
まあ、実際、大英帝国は暮れていったわけなんだけどさ…。

キプリングって、そうか、ジャングルブックかいた人だったんだね。…知らんかった。
ジャングルブック、ちゃんと読んだことないなあ。
ディズニーのはパスだが(笑)。読んでみてもいいかも。
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2005年01月18日

シャーロック・ホームズ全集8

詳注版シャーロック・ホームズ全集8
コナン・ドイル(監訳:小池 滋)/ちくま文庫(1997)

「ブルース・パーティントン型設計図」「アベイ農場」★★★★★☆☆
「覆面の下宿人」「チャールズ・オーガスタス・ミルヴァートン」★★☆☆☆☆
「スリークォーターの失踪」「退職した絵具屋」★★★☆☆☆
「サセックスの吸血鬼」「悪魔の足」「踊る人形」「六つのナポレオン」★★★★☆☆

第8巻読了!
……そして、本を風呂に落とす。
……。
あんまり、こう、本を丁重に扱う方じゃないが、さすがに風呂沈没はまずい。
まあそりゃ売る気もないから、読めればいいけど。
風呂で本読むあたしが悪いのだ。悪いのだが。…ああ。

全集全体を見ると、「空き家の冒険」以降の作品が個人的にはいいなあ。
「ブルース・パーティントン型設計図」、「アベイ農場」は王道!って感じで楽しめます。
ホームズ、いいやつじゃん…。不法侵入しまくりだけど(笑)。
「チャールズ・オーガスタス・ミルヴァートン」の覆面姿はないだろう(笑)。あやしすぎる。

まあ何せこの巻はハズレなし。
個人的にはかなり好きな作品の多い一冊でした。
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2005年01月09日

一般論の王国があるとしたら、と鼠は言った。

というわけで村上春樹。
今日は読まなかったんだけど、ぼんやり作品のことを思い出したりした。

前の大学で文学の先生が勧めてくれたのが読み始め。
それまで、私はもっぱら近代文学が好きで、あとは古典を少々という感じで、現代の作品ってほとんど読んだことがなかったのね。
いまでも現代の作品はあまり読まないんだけど。
村上春樹は例外で、大好きな作家です。
とはいっても、新刊を買うことはしてなくて、まあ文庫になってさらにブックオフで100円になってたら買う程度。
だから『アフターダーク』も『海辺のカフカ』も読んでない。
持ってるのはみんな、ぼろぼろの文庫本。
あ、『キャッチャー・イン・ザ・ライ』だけなぜかハードで新刊購入したけど。
まあなんせ、かなり繰り返して読んでいる。

好きなのは初期の作品で、『風の歌を聴け』『1973年のピンボール』『羊を巡る冒険』。
鼠とジェイが好きなのです。「僕」も好きだけどさ。
ジェイ…。いいやつだ。いいやつすぎる。泣ける。ジェイズバーでの会話がとても好きだ。

そして鼠。この人すっごい好き。
『風の歌〜』で話してた、沈没船の話がイイ。
それから『羊〜』での最後の会話。
一般論では人は救われないんだよっていうとこ。ほんとにそうだと思う。
一般論では本当に誰も救われない。
うまく言えないな。もうこれは、是非読んでちょうだいというしかない(笑)。
シカオちゃんの歌にさ、「性的敗北」ってのがあって。
歌詞はちょっとエッチ?かもしんないな。
要は彼女にふられた男の人の心情なわけなんだけど。
「もう僕は聞きたくない 常識的正論なんか」ってくだりがあって。
この一般論じゃ救われない云々に通じるわよねーと、いつも思うのだ。

救われる。ってなんだろうね。
許すとかさ。
わかっちゃいるけど、感情でどうしょうもないこと、あるもんね。
正しいとか正しくないとか、周りがどう言うとか、ほんとに関係なくって。
そもそも、自分じゃ力の及ばないことっていっぱいあるし。
そしてたぶん、救済は無関心とも違うのだ。
…ええっ、でもそうか、執着することが駄目なのか?でも執着と関心は違うよね?
同じか?
うーん。宗教だなこりゃ。
私はクリスチャンでもブッティストでもないけどさ。
でも禅宗は興味あるなあ。鈴木大拙の本、すっごい共感するんだよね。
禅って個人的だよね?うーん、読みかじりだから間違ってたらごめんなさいよ。
救済ってのは、誰かが救ってくれるわけじゃなくて、誰かが救われた話を聞いて真似るんじゃなくて、
わたしがいまここでほんとうに体験するしかないことなんだ、っていう。
体験したことないから体験の仕方わかんないけど、私が体験するしかない。

話はずれるけど。
日本人は許す神をもたないのだ、と長田弘の本に書いていた。
大岡の『野火』とリードの『生存者』について書いた文章の中で。
どっちも、人肉食を取り扱った話。私『野火』は読んだけど、『生存者』は未読。
裁く神は許す神である、と長田は言う。
『生存者』は実話で、アンデスの山中で飛行機が墜落して、その生存者たちが仲間を食べたって話らしいけど。
人を食べてしまった後、クリスチャンたちは自分を喪わずに生きていけたのね。
神がそれを許したと彼らは信じたわけだね。
でも、『野火』で、主人公はだんだん自分を喪っていく。なぜって自分を許せないからさ。
誰も裁いてくれない。ってのはやっぱ苦しいよ。誰も決めてくれない。
罰されることもさ、ある意味救いだよね?
罰されて罪を償えば(あるいは罪を償うっていう行為そのものによって)救われるわけじゃない。
まあ、そんな馬鹿単純な話じゃーないんだろうけど、実際は。

さらに話はずれるけど。
日本は宗教に対する偏見がすごい。とちょっと思う。
宗教って基本的にそんなイカガワシイものではないと私は思うんだけど。
まあ、カルトだの何だのは困るけどねえ(笑)。
高校の倫理とかでさー、ちろっとやるみたいだけど、もーちょいちゃんとやった方がいいんじゃなかろうか。
というか私なんか、倫理の授業まともに受けた覚えすらない。
(日本史選択だったからやんなくてよかったんだよ。)
信仰を持つ持たないは別として、理解した方がいーのでは。なかろうか。
なんにせよ。信仰を馬鹿にするのは良くないよ。
科学とさ。宗教ってそんなに違わないんじゃないかな。
因果律が違うだけのような気がする。
だから。宗教なんて科学的じゃない!なんて反論は成立しないよなあ。
科学万能主義は、疑問だな。

村上春樹から宗教に飛んでしまった。
要するに、村上春樹が好きですよってことです(笑)。

『風の歌〜』の中で鼠と「僕」が喋ってたじゃーないか。
なんで死んだ作家の本なんて読む?と鼠が「僕」に聞くんだよね。
で、「僕」の答えは、死んだ人間は大抵のことが許せそうな気がするから。だった。
「生きてる人間はどう?大抵のことは許せない?」と鼠。
この質問に「僕」はなんて答えたっけな。忘れちゃったや。

そして村上春樹は、私が読む数少ない生きてる作家のうちの一人なのですよ(笑)。
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2005年01月08日

シャーロック・ホームズ全集7

詳注版シャーロック・ホームズ全集7
コナン・ドイル(監訳:小池滋)/ちくま文庫(1997)

「緑柱石の宝冠」「空き家の冒険」「ブラックピーター」★★★★☆☆☆
「最後の事件」「ひとりぼっちの自転車乗り」★★★☆☆☆☆
「ノーウッドの建築家」★★★★★☆☆
「金縁の鼻眼鏡」「三人の学生」★★☆☆☆☆☆

今回は佳作が多いね!なんつーと生意気だけど。
なんか推理小説としてこなれてきた感があるなあ。
このホームズ全集は発表順じゃなくて事件の起きた順に並んでいるから、何とも言えない部分があるんだけど。
「ノーウッドの建築家」が案外おもしろかった。まあ最後のウサギ二羽はどーかと思うが(笑)。
レストレード君にやり返しちゃうあたりが好き。
「最後の事件」はなんだか呆気なさすぎる。投げやりな感じ。
「空き家の冒険」でホームズ復活。話的にはまあまあかな。
posted by ヤブネコ at 21:43| 東京 ????| Comment(0) | TrackBack(0) | 読書 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする